2016年8月10日に奥行臼駅に行ってきました。
内部は見られないそうです(´・ω・`)
常駐者がいたとは衝撃でした。
いった誰がこんな僻地まで見に来るのか。
公開が再開されることはないのではないだろうか。
中には入れないので窓から撮りました。
入りたかった。
消えかけてる
「 根室原野の開拓と産業の進行をはかるために敷設された標津線は、昭和八年十二月一日に厚木駅西区間が開通し、当奥行臼駅は別海駅と並び一番古い歴史を誇っていたのである。平成元年四月二十九日の廃止までの五十六年間、本町の南の玄関口として奥行き、上風連地区の産業・生活・文化の発展に重要な役割を果たしていたのである。
本駅舎は昭和初期の建築様式の原型を留め、本町に五ヶ所を数えた駅の中で現存する唯一のもので、本町開拓の足跡を残す歴史的建造物として、文化財の価値を十分有するので関連施設を含めて町指定文化財に指定するものである。
駅構内の貨物引込線は昭和四十九年九月に廃止となり撤去されていたものを平成三年十一月に復元、又共同風呂は春別駅で使用されていたのであるが、平成三年九月に移設し、平成四年八月に現在地に復元をしたものである。」
これでは誰も来ない。
鉄道をバスに置き換えたんだろうか。
構内には枕木とレールを再利用した小屋がありました。
いろいろな廃線跡を見てきたけど、ここまで廃材の利用率の高い物は初めてです。
電柱が傾いてる。
複線なのは駅前だけで他は単線でした。
看板に書かれていた共同風呂のようです。
説明がなければ井戸だと勘違いしたと思う。
枕木が斜めになっている箇所が見られました。
意外と電化されていたんでしょうか。
レールの一部に導線が繋がっていました。
待避線に列車が入っているかを電気的に監視していたんだろうか。
駅頓所(えきていしょ)は改修中では入れませんでした。
「 駅逓所とは、交通不便の地に駅舎と人馬等を備えて、人馬の継ぎ立てと宿泊、物資の運送等に便宜を図るために設置された施設で、明治期以降北海道では独自の制度として存続し、北海道の開拓と連動して発展を遂げました。
旧奥行臼駅逓所は、明治四十三(一九一〇)年に別海村奥行臼に設置され、根室と別海の海岸部・内陸部をそれぞれ結ぶ交通の要衝として重要な役割を果たしました。
開設当時の駅舎は駅逓取扱人の山崎藤次郎の自宅が使われましたが、明治末から大正初期の増築を経て、大正九(一九二〇)年には客室として二階建ての寄練が増築されています。この寄楝は現在でもほぼ変わらぬ形で現存しており、駅逓全盛期の姿を現代に伝えています。
奥行臼駅逓所は昭和五(一九三〇)年に廃止されましたが、引き続き旅館として使われ、駅逓所時代よりも賑わいを見せたと伝えられています。
また、駅逓所時代に使われていた調度品類、厩舎(うまや)や広大な放牧地、さらに道路後も残っており、駅逓所当時の景観が良好な状態で保存されています。」